かなしいことなんかじゃない 

妄想と力、妄想は力。正しい恋愛のありかたを、妄想を用いてアカデミックに考察するブログ

Dancing naked ladies

 女の子が、風呂場では裸であることに気付いた瞬間、わたしは思わず、ユリイカ!、と叫んでしまった。女の子は、なんてスケベな格好をして風呂に入っているのだろう。

 風呂に入るときは全裸。洋服も、下着も身につけていない。ピンクの乳首も、手のひらに収まるサイズの乳房も、ゴムまりみたいな弾力のお尻も、豊かに茂った陰毛も、風呂場では丸出しのままなのだ。まる見え。つまり裏DVDや、”天然むすめ”みたいなものである。自分が、そんないやらしい姿でいることに、女の子たちは自覚的なのだろうか?

 わたしが女の子だったら、けっして冷静でいられない。恥ずかしさに身もだえしながら、でも、その羞恥心が性的な興奮を高めてしまって、お風呂に入るたびに、いけない快感を覚えるだろう。恥ずかしいの、恥ずかしいけど、気持ちよくって……、というあの感じである。男にとってもお風呂は気持ちのいいものだが、女の子はそれ以上の快感を、湯船につかりながら感じているのかもしれない。そう考えると、女の子が温泉好きなのも理解できる。テレ東の温泉番組をみるたび、なぜ、高い金払って不便な山奥まで風呂に入りにいくんだろう、と、不思議におもっていたが、人前で裸を晒す恥ずかしさと解放感と視線が注がれる快感とドキドキと罪悪感と……あれやこれやが入り混じった快感を求めて、女の子たちは温泉に向かう。

 ほんと、女の子はスケベな生き物だ。

 しかし、そんなスケベな女の子たちも、いやらしいことばかり考えているわけではないだろう。たとえば、トイレ。そこでは、さすがのスケベな女の子たちも、お風呂場のように、いけない羞恥心の快楽に浸れはしない。なぜなら、トイレにおいて女の子たちは下半身まるだしといういやらしい姿になりながら、排尿・排便という不潔で臭い行為を行わなければならないからだ。

 綺麗に化粧をして、KBFやPAR ICIで買ったカワイイお洋服を着こなしていても、下半身を丸出しにして排尿・排便する「ワタシ」という矛盾。その矛盾が、オシャレで無垢な「ワタシ」をズタズタに引き裂き、トイレにいくたび、女の子はいつも涙を流している。そう、オシャレで無垢な女の子は、いくつになっても排尿・排便する自分に折り合いがつけられず、排泄物を流しながら、その瞳からも涙を流すものだ。「涙の数だけ綺麗になれるよ」と、陳腐なJ-POPの歌詞にあるが、その涙は、当然、トイレで女の子たちが流した涙である。